これは、書籍「メネンデスブラザーズ事件」から削除したボツ原稿です。

バレンタインは、メネンデス裁判に現れた変な人として知られてはいますが、嘘しか言っていなかったので今では半ば忘れられた存在です。一言で言うと、ちょいマニアックな情報なので本に掲載するのをやめたのです。

 

以下ボツ原稿です。
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彼は、フリーランスのボディーガードで、事件後の8月30日から31日にかけて、ニューヨークでエリックを護衛した人物である。この任務は、エージェント会社からの依頼によるものだ。

バレンタインによると、8月30日夜、ニューヨークのシェラトンで兄弟を護衛した。彼が到着した時、もうライルはそこにいて、ガールフレンドと同じ部屋に宿泊していた。そこへエリックとマーク・ヘファナンコーチ、ヘファナンの妻が加わる。エリックはヘファナン夫妻の部屋に寝ることになり、バレンタインは廊下に置いた椅子で一晩過ごした。翌朝、エリック、ヘファナン夫妻と4人で朝食を取り、4人でリムジンに乗った。向かったのは、クイーンズのフラッシング・メドウズ。USオープンテニスの観戦のためだ。試合会場にライルとガールフレンドがいた。エリックはその日、飛行機でカリフォルニアに帰る必要があり、すぐに会場を後にする。バレンタインはエリックに同行した。リムジンで一旦ホテルに荷物を取りに戻り、そこからラガーディア空港へと向かう。その道中、エリックは何度か、路肩にリムジンを駐車させてコンピューター関連のショップに立ち寄った。

長い話の中で意味を持つのは、「エリックはロサンジェルスに帰る前にコンピューター関連の何かを必要としていた」という点だ。エリックがロスへ向かったのは、カルロス・メネンデスの雇った技術者が遺言状の下書きを探しに来るからだった。これは1989年のことである。まだ大多数がコンピューターの使用法を知らない時代であり、エリックもそのひとりだった。何年か前に家のコンピューターでゲームをしようとして操作を誤り、ハードディスクを全消去してしまってから、使用を禁止されていた。そんな彼が市販の何を手に入れたら専門家に太刀打ちできるのか分からないが、検察は、遺言状の削除に関して何かを企んでいたとほのめかしたかったのだろう。ところが、バレンタインの話もでたらめだったのだ。

 

まずライルは、その日の朝6時にはロサンジェルス行きの飛行機に乗っていた。USオープン会場にいるはずがない。エイブラムソンにそれを指摘されるとバレンタインは「あなたの情報は間違っていると言わざるを得ません」と言い張る。そこでエイブラムソンは、ボディーガードの派遣会社の記録を提示した。USオープンに行ったことは記載されていなかった。ライルもエリックも行っていないのだから当然である。その後ヘファナン夫妻が揃って、「31日の日中はセミナーに参加していてUSオープンを見には行っていない」「30日から31日には、ライルにもガールフレンドにも会っていない」と証言する。さらにリムジンの運転手デリシオは、「エリックとガードマンをシェラトンからラガーディア空港まで送ったが、USオープンには行っていない」「ライルもガールフレンドもコーチ夫婦も見ていない」と言い、「途中でどこかに立ち寄った記憶はないし、立ち寄れば必ず報告書に書く」と証言した。エイブラムソンは、クイーンズの出身で周辺の地理を熟知していた。彼女の質問に答えてデリシオは、「シェラトンのあたりでは路肩に車を停められる場所はほとんどなく、空港近くは工場地帯で店舗がない」とも説明する。彼がエリックのことをよく覚えていたのは、「ガードマンが『この青年はつい最近ご両親を亡くしたんだ』等と話していたから」だった。

さらにデリシオは、31日の早朝3時45分にライルを乗せてもいた。ニュージャージーのナッソーインからニューアーク空港まで。業務記録にもそう残っている。

バレンタインの話の中で本当だったのは、30日の夜にエリックとヘファナン夫妻の寝ている部屋の前で護衛したということだけだった。

 

検察のボザニッチとクリヤマ、そしてゾーラー刑事は、証言よりも前に派遣会社の記録を見ている。USオープンの記載のない記録である。彼らは、バレンタインの話が嘘だと知っていた。偽証を許したか、あるいは頼んだかのどちらかである。